No.8 [水精の唄]

No.8 [水精の唄]
¥888 SOLD OUT
この長い生の中で、それは一瞬だった。

でも―
恋に落ちるのには、十分な時間だった。



私は、人間を愛してしまった。















―その日、久方ぶりに友との再会を予定していた。

世界に数える程しかいない人魚の私にとっては、同じ種族の仲間と会える時間は、とても大切なもの。





何から話そうか―

そんな事を考えて上の空で泳いでいると、私の身体は何かに突っ込んだ。





「っ!」




―しまった。

これは人間が仕掛けた網だ。
いつもはこんな所に無いのに。


油断していた。
まんまと掛かってしまったのだ。



逃れようともがけばもがく程、繊維質の網は尾びれや鱗に絡み付き、引っ掛かり、取れなくなっていった。





―あぁ、どうしよう。



人間はとても残酷な生き物だと聞いている。
捕まったら何をされるか分からない。

言い知れぬ恐怖が私を包み、身体が震えた。







「っ!!」


網が引き上げられていく。

何とか海に留まろうと必死に泳ぐが、網が食い込んでうまく泳げない。




「…嫌…っ!助けて、誰か…!」








抵抗する力も尽き、遂に浜辺に上げられた私は、恐怖と絶望に打ちひしがれ、自分の肩を抱いてうずくまり、泣いていた。







網を引き上げたのは、一人の青年だった。

ブロンドの髪と日焼けした肌が、太陽の光を浴びて輝いている。







「………っに、人魚っ!!?」


青年は、ライトブルーの目を丸くして心底驚いていた。






「待ってて!今網をほどくから」






予想外の言葉だった。

このまま連れていかれると思っていたから。




彼は、泣いている私を心配そうに見つめてきた。




「大丈夫。何もしないから、安心して」



優しい笑みを浮かべ、気遣うような手付きで、丁寧に絡まった網をほどいていく。





「……………」


「…っほどけた!
って、あっ!」



私は網を外されると同時に海に飛び込んだ。

人間を全く信用していなかったからだ。



しかし助けてもらったのは事実。
せめて礼くらいは言おうと、水面から顔を出した。






「………逃がしてくれて、ありがとう。」

「あぁ良かった!
行っちゃったかと思った!」



その青年は憧れの眼差し、とでもいうのか、こちらを見てニコニコしている。





「人魚さん、またここで会えるのを楽しみにしてるよ!
もし気が向いたら、顔を見せに来て欲しいな」



「………気が向いたらね」


そう言って私は尾びれで水面を一打ちし、去っていった。









これでもうあの人間と会う事もないだろう。

自分ではそう思っていたのだが……




数日経っても、何故かあの人間が気になっていた。









「一回くらいは、行ってもいいかな……」




そうして、何となくあの浜辺を訪れた。






水面から顔を出すと、少し遠くの方に、浜で網の準備をしているあの青年がいた。


程なくして、彼もこちらの存在に気付く。





「人魚さーん!ホントに来てくれたんだ。
また会えて嬉しいよ!」


そう言ってこちらに全力で手を振ってきた。





「……………」




私は無言で近づいた。

といっても、海から完全に離れると呼吸ができなくなる為、波打ち際までだ。


青年が満面の笑みでこちらに駆け寄ってくる。




「………そうだ!良かったら、これ…」


ポケットから何かをゴソゴソと取り出し、照れ臭そうにこちらに手渡す。






それは、一粒の青いガラス玉に紐を通しただけの、簡素なネックレスだった。




「俺、貧乏だからこんなのしかあげられないけど……
君に似合うと思って」






私の尾びれの色とお揃いの、青いガラス玉。



受け取ったそれを、まじまじと見つめた。






「………私に…?」

「うん。
もらってくれると、嬉しいんだけど……」


心配そうな視線を送ってくる。





「……もらっておくわ。

…………………ありがと…」


そう言って、ネックレスを首に掛けようとした。



「あぁ待って!俺に付けさせて」




彼はネックレスを私の首元に通し、壊れ物を扱うように、私の長い髪を直した。





「…うん、似合ってる!
君と同じで透き通ってて、綺麗だ」



そう言われ、日の光を通して青く輝くガラス玉に目をやる。





「…………」




そんな事を言われるのが初めてだった私は、何か―不思議な気持ちが、自分の中に芽生えた気がした。















それから、彼とは何度か会うようになり、だんだんと会話も弾むようになった。


とても楽しくて、幸せで……
ずっとこうしていたいと思った。


いつしかそれが[恋]だと知った。



























―月日は流れ、[恋]は[愛]に変わっていった。


好きという言葉だけでは表せない気持ちで、私の中は満たされていた。





























―その日の夜は、満月が綺麗で、いつもとは違う波打ち際に私はいた。

ここは誰も来ない、私だけが知るとっておきの場所。


静かな海の上に浮かび光る月を眺めるのが好きで、時々こうしてここに来る。















「っ!」



近くの崖の上から話し声が聞こえた。
誰かがここに来るのは初めてだ。


私はすぐさま岩場に身を隠して様子を伺う。





薄明かりの中で、人間の男らしき影が四人見えた。

何を話しているんだろう。



興味本意で、声の聞こえる所―ギリギリの波打ち際まで、そっと近付いた。













「例の人魚、どうだ?」


「……!」




私の事だろうか、いや、きっとそうだ。









「もう少しってとこだな。
何とか理由を付けて陸に上がらせる。
「俺と結婚してくれ~」とか言ってな」




すぐに分かった。
愛しい彼の声だ。


でも、どういう事……?

あの優しい彼が、そんな事、言うわけない………




現実を受け入れられず、何とか自分を誤魔化そうとする。
心臓が激しく脈打つ。









「人魚なんて滅多にお目にかかれないもんの見世物小屋でも開けば、ガッポガッポ大儲けさ。
一生遊んで暮らせるぞ」


そう言ってちらりと見えた彼は、顔の前で親指と人差し指を擦り合わせ、[金]を示す。



「でも人魚は海から上がったら死んじまうんだろ?」


「それはまぁ、水槽に海水でも入れときゃ何とかなんだろ。
最悪死んじまっても、ホルマリン漬けにして見せりゃいいし」

「……それもそうだな。
ていうかお前、よく人魚を口説き落とせたよなぁ」

「あぁ。
ホントは網に掛かった時に捕まえたかったけど、死なれたら金にならないからな。

初めの頃、そこら辺で拾ったガラス玉のネックレスをくれてやったのが効いたんだよ。
その後何年も掛かって……メンドくさかったけど。
はは、俺に掛かれば人魚もイチコロだ」

「いよっ、色男!」



男達は下衆な声で笑い合う。








「しっかしお前も悪い奴だよな。
結婚して子供までいるってのに」







「………………っ!!!」






あまりの衝撃に心臓が破裂しそうな程脈打ち、息ができなくなって意識が朦朧とする。



と、身体がよろめいて近くの貝を潰してしまい、音を発してしまった。


崖の上から男四人が顔を覗かせる。





「っ!あいつ、何でここに…!
チッ、バレたか……
クソッ!」

「この際何でもいいから捕まえろ!!」



男達はこちらに向かいながら波打ち際にいた私に石や刃物を投げつけ、何としてでも捕まえようと血眼になっていた。




こんな奴等に捕まりたくない。


動かない身体を必死に引き摺って、すんでの所で海に逃げ込んだ。






































海の中まで届く、月光に照らされた珊瑚礁の上に―
傷だらけの身体で横たわる。



尾びれは刃物で引き裂かれ、ボロボロになっていた。


これではもう、前のように力強く泳ぐ事もできない。

人魚にとって致命的な傷。

もう長くは生きられないだろう。


でも、涙は出なかった。











首に掛けていた、いつの日か彼にもらった―
あの青いガラス玉が視界に入った。








「………こ、んな…もの…っ!」





悔しくて、ネックレスを首からちぎり取って投げ捨てた。




ガラス玉は、キラキラと月光を反射しながら円を描き、ゆっくりと深海へ沈んでいった。



その様子を、ただただ見つめる。











私の心の中は、怒り、悲しさ、悔しさ、惨めさ―

様々な感情がゴチャゴチャに混ざり、黒い渦を巻いていた。







信じていたのに。

彼の為なら、海から離れ、命すら投げ出せる―
そう思っていたのに。



私、あんな人間を心から愛していたの?









絶望に支配された私は、ある言葉を無意識に口にしていた。











―お願い、母なる海よ。

私を飲み込んで。

あなたの一部に、還して下さい―











唄のようにも聞こえるそれは、絶対に口にしてはいけない呪文。


耐え難い苦痛に晒された時、人魚が自分の命を絶つ遺歌。










私の身体は、徐々に泡になっていった。






これでいい。

全部消えてしまえばいい。

この悲しみごとすべて。









今生最後の涙を一粒流し―

自分自身が涙に変わっていくような感覚と共に、私は……
海の泡になって、消えていった―














































―どれくらい経っただろうか。



周りがやけに明るい。









視界がハッキリしてきた。


私は、消えてなくなったはず―











「―目覚めましたか」





目の前に大きくて丸い光があった。

どうやら、その光が声の主のようだ。












「私、は……」

「あなたは、人魚としての生を終えられました」





やはり、私は還ったのだ。



―しかし、この場所は何だろうか。

見渡す限りどこまでも白い光に包まれている。







「…ここは、どこ?」


「この世とあの世の間にある世界です」





なぜ間の世界に留まっているのだろうか。
早く還りたい。






「自分で命を絶った者は、完全にあちらへ還る事ができません」



思っている事に返答され驚いた。








「声に出さずとも、あなたの考えは手に取るように分かります」






では、還れないのなら、ずっとここにいろというの?






「……自らの命を絶った者には、選択肢が与えられます。

一つは、この[間の世界]に留まり続ける。

そしてもう一つは―
また現世に転生し、自らの使命を全うする事」




こんな真っ白で何も無い世界に居続けるだなんて、考えただけで気が狂いそうになる。







「……転生を選ぶわ」



でも、私の使命って?






「……本当の悲しみを知る者が、本当の愛を与えられる。
あなたは、その使命を果たせる経験がある。

[癒しを運ぶ存在]になれます」





















―そして彼女は、風の妖精シルフとしての転生を選んだ。


世界中を飛び回り、あの世界の皆の悲しみを、少しでも癒せるように―



































私は今、静かな港町の高台に、小さなお店を開いている。


この店が夜しか開いていないのは、昼は世界中を飛び回っているから。




そうして、泣いている[心の声]が聞こえたら―

そこに降りていって、その声の主を……そっと、抱き締めるの。







「あなたが[今]ここに生きている。

それだけでいいのよ」





彼らに私の声は聞こえないし、姿も見えないけれど……
愛は伝わるわ。














そして今日も、私は世界中を飛び回る。



自分の使命を果たす為―

みんなの悲しみが、少しでも癒えるように。
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